◆ 今回は会田がボードを始めた頃から今に至るまでを紹介致しましょう。

   さてさてコラムということで何を書こうかと考えましたが、今回は会田がボードを始めた頃から今に至るまでを紹介致しましょう。
 
 
   自分がスノーボード初めて履いたのは今から19年前の26歳の時
  
   職場の同期の連中10名が一斉にボードをやると言い始め雪上スポーツに縁のなかった自分も、クレッグ・ケリーのビデオに触発され
   ボードショップにて一式購入
 
    週末ゲレンデに行って華麗なジャンプに憧れてトライするが、ビデオのようには当然行かず、滑っては転びを繰り返した。しばらくすると
   ターンらしき事が出来るようになり、友人に見てもらうと「それはターンじゃなくて木の葉落としだよ」と言われた時はくやしかったな〜。
   その後も逆エッジの応酬にめげず、お互いの笑顔を見ながら滑り続けました。
 
    会社勤めしながら、有給を使ってシーズン45日。朝から最終までみっちり滑っている、そんな感じで始まったスノーボード、今のように
   スクールがどこでもあるわけではなく、当然我流でやっていました。当時のバイブルは外国のボードビデオとMAC遠藤さんが書いていた
   ハウツーモノの本がたより、ゲレンデに持ち込み、読んで実践してみるという感じで、まるでプラモデルを組み立てているようなそんな楽し
   さがありました。
    そして他の人にもこの楽しさを伝えたい!という気持ちから、会社の昼休みにビデオを流し、おっさん連中にも強制的に視聴させ、ゲレ
   ンデでは初心者の友人を教えたりして、人の笑顔を見るのが楽しかった。今考えればその頃からレッスン好きだったかも。
 
    2シーズンが過ぎ、かなり自分は上手い方だと大勘違いをしながら、バッチ検定を受けました。カービングの用語も知らず、逆ひねりタ
   ーンを武器にチャレンジする、結果はさんざんなことに・・・・。
    確かに前走と自分は全く違う滑り、でも具体的にはどこに原因があるのかすぐには分かりませんでした。練習をを積み重ねながら、ま
   すます探求心が芽生え、何回かトライしてやっとの思いで取得した2級は嬉しいモンでした。
 
    そんな自分も29歳の時に転機が。当時、車のデザイナーをやっていましたが、もっと等身大に近いモノ作りをしたいという理由から、
   会社を辞めました。決してスノーボードが引き金になった訳ではありません。
 
    その時生きる目標を  「手を介してモノを作る、体を動かして何か表現したい」とし、この2つの夢を追いかけることにしました。
 
    しばらくはお金を生み出さない生活、当然大好きなボードも辞め、苦労して取得した2級もなくなりました。
 
 
    その1年後、信州八ヶ岳にあるレストラン「家も庭も自分たちで手作りするカナディアンファーム」(以下はCF)で働く事になり、同時にス
   ノーボードも再開。1シーズンやらなかった反動は大きく、どうせやるならとことんと思い、4ヶ月の休みをもらって冬はイントラの卵として
   こもる事にしました。
    一年目はイイズナリゾート、2年目から黒姫高原で働き、向上心はますますふくらみます。こうして手作りの術をCFで見習い、ボードで
   何か表現するという夢のスタートをきりました。
 
    イントラとして働きながら第3回テク選から参戦、当時はアルペンとフリースタイルのカテゴリーはなく、フリースタイラー参加者は3名ほ
   どで、アルペンと同じ土俵でどこまで食らいつけるかという大会でした。
 
             結果は38位。
  
    第4回大会は24位となり、次シーズンはなんとか一桁をねらいたいと思いました。そのシーズンに始めたボーダークロスは調子よく、マ
   スターズ第6戦で3位、7戦で優勝、ところが8戦目で背骨を折ってしまい、お先真っ暗に・・・・  1ヶ月の入院でした。
 
    そんな時、当時知り合いになった相沢さんから一通の手紙をもらいました。中には「ケガした次のシーズンは結果が良い」と励ましの言
   葉が・・・ その時は信じられませんでしたがとにかく嬉しかったですね〜
    退院してしばらくは筋力も落ちていて、歩くのがやっとでしたが、リハビリとトレーニングを重ねシーズンインしました。
 
    そして98年3月 第5回のテク選、第3期デモの選考会の日を迎えました。今大会からアルペンフリースタイルのカテゴリーが分かれ、
   3日間で前半テク選の2日間で上位20名が最終日のデモ選に出場という形式となりました。
    フリースタイルのデモ枠は男女各1名づつ、つまり優勝者のみというきびしいものです。自分は前半のテク選で優勝、そのまま順当にい
   きたいと思っていましたが、3日目の4種目の中で最終種目のウエーブ ロングターンは、背骨を折った時のシチュエーションに似ていて、
   前夜からビビリが入り、メンタル的な弱さから3種目を終えて順位を落としていました。
 
    「このままでは、今までの軌跡が泡となる」と思い
 
    最終種目に全てを懸けるつもりでいました。心臓が口からでてくるのを呑み込み、思い切ってスタート!
 
    体験したことのないスピードの中、ウエーブの凹凸に合わせ脚部の曲げ伸ばしを最大限に引き出し、それでも確か6つ目のウエーブで
   飛ばされボードが宙に浮きましたが、必死にこらえフィニッシュラインを切りました。その時の達成感と満足度は今でも鮮明に覚えています
 
    得点が出て思わずガッツポーズ、その日のベストスコアでした。
 
    苦手意識を克服できたことで多少心は満たされてたけど、前半の得点は出ていなかったので、優勝はないと思っていました。
 
    しばらくしてセンターハウスに戻ると結果が張り出されていて、見ると、1点差でトップ。ちなみに2位は稲川選手でした。はじめは目を疑い
   ましたが、その結果は後に、自分の活動において大きな原動力となりました。
 
 
    あれから10年経ち、追い続けている夢も現在進行形です。スノーボードも新たなスタイルに挑戦し続けたいと思っています。
 
    2シーズン前に八ヶ岳の麓に手作りでゲストハウス「草原屋」を建て、スノーボードキャンプを開催し、レッスン、食事、宿泊などみなさんに
   利用してもらって楽しんでもらっています。
 
    みなさん一度遊びに来てくださいね。
 
    一方モノ作りの方はテーブルやイス、看板や小物など自然の木を活かして作る木工家を目指し、自宅の横に工房を建築中です。
 
    こちらもこうご期待!
 
                
                                                                2008年10月6日
                                                                  会 田 二 郎